扉が開くと、そこには大広間が広がっていた。
「すぐ食事を持ってくるから、そこに座って待っててくれ」
主人に言われるがままに、長テーブルの端に腰を下ろした。
「凄く場違いな気分……」
椅子の上で縮こまる獏良に、
「おかしいのはこの屋敷だ」
呆れた口調でバクラが囁いた。
この広間だけで一般的なマンションの一室より広く、別世界に来てしまったように感じられる。
身を堅くしている間に主人が食事を運んできた。
「冷凍ものしか用意出来なくて、すまないね」
「まったくだな」
横で不平を言うバクラを獏良は横目で睨む。
決して獏良以外には聞こえない声だが、それでも肝を冷やす。
うるさくするなと視線で釘を刺し、獏良は食事に取り掛かった。
主人との会話は不快に感じるほど多くなく、かといって途切れる様子を見せない。
――話上手なんだろうな。
相槌を打ちながら獏良はそう感心した。
そんな二人の様子をバクラは遠巻き目に見ていた。
変わったなと、バクラは思う。
以前なら、誰よりも近くに在っても、獏良を遠く感じたことがよくあった。
その感覚がもどかしくて、乱暴に扱うこともしばしばだったが、今は余裕のようなものが出来た。
こうやって、獏良が他人と親しくしていたら、きっと面白く思わなかっただろう。
獏良に好意を抱いているのだから、なおさらだ。
今は冷静に見守ることが出来る。
獏良に対する確かな自信が生まれたのだろうか。
変わったのは自分だけではない。
獏良もまた、あの……全てが終わったあの日から変わった。
強くなった。
見た目はほとんど変わらないのに。
いや、むしろ年月が経った分だけ、幼い表情が消え、儚げになっているというのに、その振る舞いに迷いはない。
もう二人を縛るものは何もない。
逆を言えば、離れたければ、いつだって離れられる。
それをしないのは、二人の意思からだ。
自由。
今や二人は紛れもなく自由なのだ。
目に見える繋ぎがなくても、もっと確かなもので繋がれていた。
視線を感じた獏良が、主人に疑問を抱かせぬ程度に、顔をバクラの方へと向けた。
二人の視線がかっちり合ったところでやんわりと微笑む。
まるでそれは秘密の合図のよう。
「こんなところじゃ、気が散ってしかたないだろう」
「え、は……」
突然話しかけられ、獏良が口ごもる。
――バカ、オレ様に現を抜かしてどうするんだよ。
満更でもない様子でバクラは頬杖をついた。
「ああ……獏良くん、君は骨董品に興味があると言っていたが……もっと祖父のコレクションを見て みるかい?」
天から降ってきたような主人の申し出に驚きながらも喜んで応じた。
「宿主さまによほど入れ込んでいるようだぜ」
こっそりとバクラが耳打つと、
「なんだか上手くいきすぎて、怖くなってきちゃった……」
獏良は肩を抱いて呟いた。
主人は端から見ても上機嫌だった。
自分の知りうる限りの祖父の収集癖の逸話を聞かせてみせた。
それに対して、獏良が的確な相槌を打つと更に喜んだ。
「知識がないから、品物をきちんと把握出来ていないのだが……」
細長い鍵を鍵穴に差し込んで半回転させる。
鍵の外れる軽い音。
扉が開くと、微かに倉庫特有のかび臭さが流れ出た。
主人が手探りで、明かりのスイッチを入れた。
ランプの仄かな明かりが部屋を照らす。
部屋いっぱいに大小様々なケースが山積みにされていた。
奥の方には甲冑やドール、絵画などの大きな物が押し込められている。
窓がないせいもあって妙な息苦しさがあった。
下手に物を動かすわけにもいかなかったので、この部屋の掃除は目に付くところだけと指図されている。
他の部屋と比べれば劣るが、気にならないくらいには清掃されていた。
「わあ……」
「好きに見て構わないよ」
自分でも久々に見るので、主人は手近な箱を取り上げてみた。
見覚えのあるのは、幼い頃に祖父に見せられたものだろうか。
「これは……チェスから派生したものかな」
獏良も山を崩さないように箱に触れる。
何気なく骨董品の山を見回しながら奥へと進む。
「本当に沢山ありますね」
――違う、これじゃない。
「喜んでくれて、嬉しいよ」
――もっと奥……。
「あれだ」
バクラが一つの山を指す。
「これ?」
それは他と変わりない古ぼけた箱に入っていた。
「なんだろう……」
汚れるのも気にせずに手のひらで埃を払う。
「ボードゲーム?」
印刷の薄れた文字を指でなぞる。
「ああ……そうか、これは」
獏良がふたを開けようと手にかけたその時、
ぶわあ
突然巻き起こった強風に獏良の身体が煽られた。
「わっ」
吹き飛ぶ手前でなんとかそばの机に手を伸ばし、身体を支える。
埃や小物が風に舞い、顔を打ってくるのにたまらず目を閉じた。
息が出来ないほどの強風にじわじわと押され、机の縁を掴む手が離れていく。
「く……」
このままでは積まれた大山も崩れかねない。
「なんだ?」
窓のない部屋に風が吹き込むことなどありえない。
主人は原因を探るためにきょろきょろと周囲を見回した。
更に、風の強さが増し、机に指の先しか引っ掛からなくなる。
「ぐ……もうダメ……」
獏良の指が完全に離れると、周りの品を全て巻き込んで後方に吹き飛んだ。
状況が把握出来ていない主人の身体に宙を飛んだ箱が衝突する。
「っ……」
衝撃で一瞬だけ息が止まる。
力の入らなくなった身体に容赦なく風が吐息を吹き掛け、なす術なく舞った。
後ろは壁。
訪れるであろう痛みに身を堅くして覚悟を決めたが、いつまで経ってもどこにもぶつかることはなく、代わりに意識が遠のいていった。
「……ッ……さんっ!」
切迫した声で獏良が名を呼んでいるのが遠くで聞こえた。
懐かしい。
酷く懐かしい感じがする。
暗闇の中で私は目覚めた。
なんだろう……。
耳を澄ますと、聞いたことのある音がした。
暖かい声、優しい風のそよぎ、緑豊かな葉の舞い。
ああ……これは、むかし……まだ何も知らなかった頃の……。
痛み、欺瞞、妬み――汚いものがなかった、純粋だった頃の記憶。
なぜ忘れてしまったのだろう。
失ったものがまた戻ってきた。
そんな嬉しさに心が揺さぶられる。
私は泣いた。
夢の中を漂っているような、現実感のないそこでは涙は流せなかったが、確かに私は泣いた。
もっと深く。
自ら手を伸ばして、奥へと潜り込む。
ぼんやりとしか聞こえなかったそれらが、だんだんはっきりと、視えてきた。
ずっとここにいたい。
さらに私は奥へ続く戸を押す。
空気ががらりと変わった。
感じたことのない空気だ。
私は知らない。
「私」じゃない。
気がつくと、目の前に小さな子供が立っていた。
誰だろう。
見たことがない。
胸がざわつく。
本当に?
どこかで見たことがなかったか。
何故だか思い出せずに、私はその場に突っ立っていた。
その子――白い髪の男の子の背がゆっくりと伸びていく。
手や足がすらりと長くなり、整った顔立ちが更に引き締まり、美しさを帯びる。
成長するに従って、表情が曇り、瞳から涙が零れ落ちた。
痛みに歪む、見るも耐えないその顔から、やがて全ての表情が消える。
涙は枯れ果てた。
彼の胸元に何かが金色の光を発していた。
何か声をかけてあげたい。
しかし、声を出そうとしても、口からは吐息も出てこなかった。
私がもがいている間に彼に小さな変化が起こる。
無であった表情に、徐々にではあるが、小さな光が灯った。
最初はほんの小さな笑みだったが、屈託のない満開の笑顔に移り変わる。
彼の周りに微かな人影が視えた。
多分、それらに向かって、笑いかけているのだ。
良かった……。
自分のことのように、私は胸を撫で下ろす。
それは永遠には続かなかった。
突然、彼の顔が凍り付き、歪んだ。
さっきの比ではない。
両の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
際限なく流れ続けた。
顔をくしゃくしゃにし、髪を振り乱し、彼は叫んだ。
私には聞こえない。
しかし、彼は尚も叫んだ。
細い身体が震え、揺らぐ。
何だ?
彼は何と叫んでいるのだ。
全神経を集中させ、耳を傾ける。
すると、微かに、遠くから聞こえてくるかのように、聞こえ始めた。
上手く聞き取れなかったが、言葉の断片が浮かび上がる。
な……ん……で……。
声を認知した途端、これ以上ないほど、はっきりと彼の声が聞こえた。
「なんで!どうして!?こんな……ふざけるなよッ!いきなり消えるなんて……酷い、酷いよぉお……うわぁあああ!!」
悲痛な叫びが私の耳から全身隅々までびりびりと伝わった。
彼に手を伸ばそうとするが、届かない。
それどころか、どんどんと離れていった。
耳にいつまでも彼の叫びが残っていた。
あの声に篭っていたのは、果てのない悲しみと一握りの憎しみと……
……そして、何よりも深い愛情 ……。
いつの間にか、彼の胸の金色の光は消えていた。
……。
「……ッ!」
冷たい。
私は目を開けた。
床に倒れていたようだ。
ひんやりとした床の冷たさに、意識が覚醒していく。
状況を確かめようと頭を動かすと、そばにほっそりとした肢体があった。
まだ完全に目覚めない頭と乱暴に吹き荒ぶ風のせいで、目の前にいる彼が何を言っているのか理解が出来なかった。
彼は低い体勢で片手を私の身体の上に乗せ、風に飛ばされないように、別の手で床のタイルにしがみついていた。
摩擦で指が焼けてしまうんではないかとか、爪が剥れてしまうなどと、ぼんやりとした頭で要らぬ心配をした。
「大丈夫ですか?!しっかりして下さい!」
彼の声が私の耳にやっと届いたところで、完全に目が醒めた。
「これは……一体?!」
「じっとしてて下さい!」
頭を起こして、状況を確認する。
これがあの倉庫?
なんでこんな不可思議な現象……。
訳が分からず、私は彼を見上げるしかなかった。
彼は倉庫の奥を見据えて、何かに立ち向かっていた……?
「最後の抵抗を……しっかり気を持って下さい」
綺麗な白い顔が傷だらけになっていた。
そういえば、私の身体もところどころ鈍い痛みがする。
それでも彼は構わずに、奥を凛とした表情で見ていた。
「あれは古い盤面。いわゆる双六の一種です。運命に任せて賽を振り、駒を進める姿は人が生を歩んでる姿に似てる……惑わされないで」
言葉の意味が理解出来ずに、呆然と彼の顔を眺めることしか出来ない。
「き……君は……一体?」
声を何とか絞り出すと、私の問い掛けに彼はこちらを向いた。
「僕は……僕らは盗賊です」
にこりと微笑んで、そう言った。
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捏造最高値っぽいです;ぼやぁっとさせた感じにしておいてみちゃったりなんかしたので、ご想像で…。